ついつい「良いか悪いか」で判断しがちです。
この「良いか悪いか」で判断することに僕は最近疑問を感じるようになってきました。
なぜから「良い悪い」の判断は人によって違うからです。
例えば、最近息子がたまに食べ物(みかん、りんご)を投げることがあります。
そんな時「食べ物を投げたらいけない!」と言いたくなる自分がいます。
でも、そんな時にもう1人の自分が思うのです。
「じゃあ、節分の豆まきもダメじゃん。食べ物投げてるから」と。
もし、子どもがこう言ってきたときに、自分はきちんと説明できません。
ですから、僕は頭ごなしに子どもに「ダメ」とは言えませんでした。
でも、食べ物を投げることはやめてほしいので、こんな風に言います。
「食べ物投げると、お父さん嫌だからやめてほしいなぁ。みかんさんもきっと痛いよ」と。
息子の行動を頭ごなしに「悪いこと」と判断してやめさせようとするより、
「自分はこう思うから、こうして欲しい」と言う。
その方が伝わりやすいような気がします。
何より、相手のその行動を「悪いこと」と決めつけることは、
極端に言えば「自分は正しい(正義)、相手は間違ってる(悪)」と言っているのと同じこと。
「自分が正義」と思った瞬間、自分の意にそぐわないものはすべて「悪」になります。
正義を振りかざすことは一見素晴らしいことに見えますが、
その解釈が争いを起こし、戦争を生むような気がしてなりません。
かえって正義も悪もないほうが平和になるのではないでしょうか。
息子の話に戻りますが、
はっきりいって、人生は矛盾だらけ。人の価値観も様々です。
行き当たりばったりの「良い悪い」を語るくらいなら、
僕は単に「好きか嫌いか」で話したいと思います。
「良いか悪いか」は認めあえませんが、
「好きか嫌いか」ならきっと認めあえるでしょう。
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